MESSAGE 1

来日の動機

2003年3月、私は中国 吉林省より 日本の広島県福山市を訪れました。

当時、私が高校生の頃、中国は就職するにあたり情勢が悪かったこと、訪日していた先輩から日本での生活を聞いて、海外での生活「日本での語学留学」がしたいと強く思うようになりました。
中国で語学留学を認められるには、厳しい審査を通過する必要がありました。

勉強の成果が出て無事認められ、夢が叶った事と元来好奇心が旺盛な性格でしたので、不安もありましたが日本での生活にワクワクしていました。

吉林省の観光地

吉林市の夜景

東部はロシアと接し、南東部は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する。

MESSAGE 2

日本での生活

2003年4月より2年間「福山YMCAビジネス専門学校」で日本語を学びました。
中国と日本の文化の違いの大きさ、慣れない生活、日本語の難しさ 想像していたより困難な毎日でした。
アルバイトと学校を日々往復していく内に、徐々に日本語がわかるようになって、専門学校を卒業する頃には日常会話で困る事は少なくなっていました。

学校卒業と共に今後の事を考える時間が増えました。
中国に帰国して日本企業に就職する話もある中、私はもっと日本で学びたいと思い「福山平成大学 経営学部 経営情報化」に入学する事にしました。
大学では企業経営に関する科目、情報処理を学び、ゼミでは中小企業の経営について勉強しました。

福山平成大学

福山YMCAビジネス専門学校と福山平成大学で過ごす

MESSAGE 3

卒業・就職

「日本企業に就職しもっと学びたい」
と思い、大学の就職課に何度も足を運び留学生を募集している企業を紹介して頂き、積極的に就職活動を行いました。

友人と共に参加した面接セミナーで、友人の面接が終わるのをを待っていたところ、ある企業の方に声をかけて頂いたことが縁となり、設備会社に就職しました。

入社してからは技術部に所属し、空調を中心に設備業務の現場監督として働きました。
永住権を取得、仕事も忙しく生活も安定し、とても充実した毎日を過ごしていました。

すべては好奇心から始まる。

一人ひとりの好奇心が、抑えられない情熱を生み、その違いが価値を創る。

MESSAGE 4

起業 , 挑戦。

「今のままでいいのだろうか?挑戦できるのは今しかないのでは?」
中国には 山河は変えられるが人の本性は変えられない,日本での3つ子の魂100までと同じ意味を持つことわざです。
30歳になった頃、順調な生活の中で持ち前の好奇心からの挑戦したいと思う事が多くなりました。
自問自答を繰り返し、35歳の時独立を決心して設備会社を退職しました。

2017年2月 ㈱海信設備工業を設立

「皆が安心して住める街をつくりたい。」
起業当時、準備はしてきたつもりでしたが、夢と現実の違いは厳しくなかなか上手くいきませんでした。
資金、資格、各種手続きの難しさ。 営業・事務・作業・請求を1人で行い、資金が無く食費を切り詰め、苦しくて眠れない時期がありました。

お客様からの信頼を得たい、外国人だからと言われたくない、迅速で丁寧な仕事に徹して徐々に信頼が得られました。
色々な棟梁の匠の技術を学び、各業者の協力を頂きまして、空調・給排水・配管・内装・電気 マンション管理・賃貸が主な業務です。
これからも信頼の2文字を胸に、明るく強く努力していきたいと思います。

日々前進、日々感謝。

2017年2月 ㈱海信設備工業を設立代表取締役 林暁志